2015年5月13日 星期三

【不負責任影評】 台湾人生



解説
台湾が日本統治下にあった時代に青少年期を過ごした人々を追ったドキュメンタリー。
台湾は1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの51年間、日本の統治下にあった。
日本は欧米への対抗意識もあり、台湾のインフラ整備や教育の普及、治安の維持に力を注いだ。また、同化政策により、台湾での学校教育は日本語で行われたため、この時代に学校教育を受けた世代は日本語を話すことができる。いわゆる「日本語世代」と呼ばれる人々である。

本作の出演者たちも、日本統治時代最末期に日本語教育を受け、日本人として生きていた。第二次世界大戦の戦況が厳しくなると、台湾でも志願兵制度に続き徴兵制度が布かれた。台湾の軍人・軍属は約21万人を数え、そのうち約3万人が死亡。また、台湾の主要都市もアメリカ軍の空爆の標的となり、市民の死傷者・行方不明者は1万5千人にのぼった。やがて日本は敗戦、大陸から来た蒋介石の中国国民党が台湾統治をはじめたが、二二八事件や白色テロなど、激しい台湾人弾圧が行われた。さらに台湾語、日本語の使用が禁じられ、日本語世代は長い間口を閉ざさざるを得なかった。1972年、日中友好条約の一方で日台の国交は断絶したが、民間レベルの交流は今なお強固なままである。その根幹は日本語世代の担うところが大きかったが、時の流れとともに世代交代が進んでいる。激動の歴史に翻弄されながらも、人生を力強く歩んできた5人の日本語世代たちの日々の暮らしの様子を交え、日本統治時代、戦後の国民党独裁時代を経て現在に至るまでの人生をインタビューで振り返る。台湾の最も波乱に満ちた時代を生きた日本語世代が、自らの人生を振り返るときに語る言葉とは――。

本作品は酒井充子監督の初監督作品である。新聞記者を経て2000年からドキュメンタリー映画の制作および劇映画の制作、宣伝に関わりつつ、本作品の構想を練ってきた。台湾との出会いは1998年、1本の台湾映画に触発され、台湾を訪れた時に始まる。このときの、いわゆる日本語世代の老人との出会いが、のちの映画制作の原点となった。本格的に取材を始めたのは2002年から。足かけ7年におよぶ取材活動中に、病に倒れたり、鬼籍に入った人もいる。映画を通じて台湾のことを広く知ってほしいという強い思いが、限られた時間の中で再三訪台し、カメラを回す原動力となった。新聞記者時代に培った機動力と深い洞察力で、台湾と日本の忘れてはいけない歴史を浮き彫りにする。

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感想
前陣子在”高田世界館”的台灣電影節看了一部日本導演"酒井充子"2008年的作品”台灣人生”。紀錄片的內容主要是訪問在日本統治末期,接受日本語教育經歷了第二次世界大戰,228,白色恐怖的5位台灣人(其中有排灣族)的回憶錄。

雖然有聽過日本語世代,但卻沒有實際接觸與了解過。
從小接受的歷史教育都是以大中國的史觀為主,日本"殖民"時期,然後中華民國"光復"台灣。

而影片中的受訪者則是受了所謂的"皇民化教育"的影響,認為自己是日本人,第二次世界大戰的時候,已日本兵的身分出征去打戰。日本戰敗後台灣被敵國"中國"接收。認為自己被日本"祖國"所拋棄,其後經歷了228與白色恐怖。

我想,反之,跟蔣介石一起從中國撤退來台灣的"中國人",一定有著完全不一樣的歷史記憶。這樣有著完全不同歷史記憶的一群人,要有相同的"國家認同",是件很困難的事情。

然而很慶幸的是,網路的發達,我們可以快速的接受到許多資訊,不再需要被媒體所綁架。
台灣是個多元的國家,有不同的族群,背負不同歷史的人共同生活在這塊土地。
我認為,身為新世代的我們,應該記取歷史教訓,傾聽不同族群(國家)的聲音,
為"台灣"這塊土地發聲。
讓世界更多人知道"台灣"這個國家。團結力量大吧!




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